スケッチ随想
2019年5月/斎藤
スケッチ随想
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旅と酒とスケッチの思い出
斎藤 潔
(日本スケッチ画会 理事・事務局長)
はじめに
私は小学生になる前、戦時下ということで、都会を離れて母の実家の隠岐の島(島根県)に租界した。自給自足に近い生活だったが不便さを感ずるよりも何もかもがめずらしかった。しかし、島は、美しい自然の景観を残すものの、海岸線が絶壁で覆われ風雪と荒波に洗われ怖い海鳴りがした。冬の生活はとても厳しく、村人は酒が強くなるのが当然、ランプの下で、昔話を聞きながら爺・-婆の酒に付き合わされたのが長い長い酒とのお付き合いの始まりでした。
絵0-1・・学生時代帰省時に隠岐の島の海岸風景を描く
1.サンフランシスコ、ボストン
社会人になると出張がやたらに多くなった。学生時代から絵を描くことが好きだったので、小さなスケッチブックをもって仕事の合間に息抜きに絵を描くのが習慣になった。
特にITエンジニアの場合はシリコンバレーやボストンの出張が多くベンチャー企業の若い技術者とワインを傾け口角泡を飛ばしながらの仕事も楽しかった。そんな合間に描く絵はへただが楽しい思い出になった。
絵1-1サウサリートのレストラン
絵1-2 ボストンの合唱隊
2.会津
友人の誘いで冬の会津を訪ねた。大雪が降った早朝、雪を掻き分け飯盛山へ登る。白虎隊の遺跡にお参り、さざえ堂の雪の景色を写真に収める。旅行後前年の夏に描いた絵を参考に冬の姿を完成させた。両方の絵は会津に縁のある勤務先の社長の希望によりプレゼントした。
帰り道、七日町の街道の酒蔵にて調達した酒で体を温めながらスケッチ。偶然出会った旅人に、スケッチに来たと言うとこの旅人が雪の絵の話をはじめた。なんと会津の出身でふんわりとした雪景色の版画で著名な「斎藤清画伯*1」の親族とわかりびっくり。文字は違うものの同姓同名の画家に不思議な縁を感じた。
絵2-1、2夏と冬のさざえ堂
3.銀山温泉
雪の絵が好きになり、どうしても銀山温泉に行きたくなった。
雪がしんしんと降る中、川の両岸に立つ大正ロマンを醸し出す旅館の軒先を借り早描きをする、せいぜい一時間が精いっぱい、ストーブにあたってはまた戻り続きを描くことを繰り返す、2枚描いたところで宿に戻り早々に夕食、当然のことながら熱燗をいただく。
客が引けた後には私たち夫婦ともう一組の夫婦だけが酒を飲んでいるという構図になった、以心伝心どちらからともなく酒を酌み交わすことになった、この旅人Gさんは長野の大町の方でこちらが名乗ると、大町に独自の板絵というジャンルに挑んでいる「斉藤清画伯*2」を訪ねなさいと言われびっくり、またもや同姓・同名の画家が登場した。
絵3.1 銀山温泉
4.信濃大町
花が一斉に咲き始める春の長野は雪を被った北アルプスを背景に田んぼに水が張られ、スケッチにはもってこいの季節。翌年と次の年と続けて長野のGさんを訪ねる、豊富な山菜料理に舌鼓を打ちながら飲む酒が応えられない。
Gさんと一緒に「大町の斎藤清画伯」のアトリエを訪ね、素晴らしい板絵の制作に情熱を注いでいる姿に触れた、その執念にまだ稚拙な絵しか描けない横浜の斎藤潔は心を打たれたのでした。「会津の斎藤清画伯」も生前「大町の斎藤清画伯」を訪ねて来られたという、さもありなん。不思議な縁が繋がった。ちなみに画伯の巨大な絵が安曇野の山岳ミュージアムのエントランスに飾られている。
絵4-1 信濃大町
絵4-2 お日様の丘にて
5. 山中湖
年齢とともに仕事がきつく、週末に疲れから逃れるために過ごす場所として山中湖に小さな部屋を購入した。夏、都会の暑さから逃れるのにも好都合だが、人がひっそりとしている冬過ごすのが好きになった。普段平凡に見える景色も雪景色になると誰もいない舞台に自然が作り出した芸術作品を見るような景観があらわれる。ただし冬山用の装備や酒で暖をとる対策をしても零下の中では指が動かず短時間しか現場では描けない、後は殆ど部屋で仕上ることになる。
絵5-1 雪を被るレストラン
絵5-2 雪の針樅道路
6.アルハンブラ
ホテルの裏の小高いオリーブ畑に登ると、シエラネバダ山脈の上に煌々と輝く満月の光になんとアルハンブラの宮殿がくっきり浮かび上がっていた。このスペイン旅行で出会ったY夫妻がディナーショーでリクエストしたギターの曲「アルハンブラの思い出」の余韻が頭をよぎり、しばし宮殿の主であったイスラム王の悲しい物語に浸った。
帰国後Y夫妻が山中湖を訪ねてきた、無類の酒通の夫妻と再会を祝し時間がたつのもわすれ酒を飲みかわす。その後Y夫妻は私たちのすぐ近くに部屋を持つことになり、旅行に行っては紀行報告を披露しあう山中湖でのお付きあいが始まるとは、また旅の不思議な縁であった。
絵-6アルハンブラ宮殿、早朝にスケッチ
7.ドロミテ
妻が通っていた教会のV神父は、毎月のように我が家を訪れてくれて、もはや家族の一員であり守り神のようなものであった。神父との団欒は修道院で作ったワインやグラッパを傾けながらの長い昼食になり、故郷のイタリアのドロミテの話は何度も聞かされることになった。日本が好きで最後までイタリアに帰国することをこばみ続けていた、そんな神父が日本で亡くなった。
いつしかドロミテの親族に報告に行かなければという思いでいたが、2017年についに実現するときがきた。約一週間美しくも険しい3000メートル級の山が沢山連なるドロミテの山塊をトレッキング、最後に小さな村テセロを訪ねた。神父の姪御ジュセピーナファミリーが総出で大歓待。彼女のプロ級の絵に囲まれた家で、初めて会ったとは思えない暖かいもてなしにグラッパで乾杯。
帰国後スケッチ画会の画集を送ったところ日本の風景がめずらしく、大いに楽しんだようだ。
絵-7 ドロミテの山と教会
終わりに
遅々として進歩しない私の絵ですが、まだまだ旅は続きます。ここまでの話にお付き合いいただきありがとうございました。インド、ブラジル、イスラエル、などでの珍しい光景の話はまた別の機会にゆずることにして、終わりにパリのノートルダム寺院の絵を掲載します、火事に会って当分の間スケッチができない、絵を描く者として早い再建を祈るばかりです。
絵8-1上流・右岸の船上レストラン横より
絵8-2上流の某研究所の屋上より
参考 会津の斎藤清画伯 *1 https://www.town.yanaizu.fukushima.jp/bijutsu/
大町の斎藤清画伯 *2 https://www.prart.co.jp/store/saito/
2019/05/07