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2013年11月/山本


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絵筆をとるの記

山本俊介            
(日本スケッチ画会 顧問)
 
 絵を描くのが好きな私ですが、大学で建築の設計を学び、1951年 清水建設に入社してより、長い間、殆ど絵筆をとれませんでした。1959年 米国に留学したのでその後、海外関係の仕事に屡々たずさわるようになり、1970年の大阪万国博では、フランス館をはじめ5つの外国館の実施設計を一級建築士として担当しました。その間、超多忙な中にも充実した日々だった思い出があります。
 
 実務面の最高責任者、設計本部長から常務取締役技師長になったのが1988年です。建築業協会の設計部会長など対外的な仕事が主になり、日常のスケジュールも規則的でゆとりが出きました。
 そこでストックホルムでの国際会議に出かける時に、はじめてB5版のスケッチブックを持参し、油性のペンでスケッチを描きニュートンの固形水彩絵具で着色したのが私の筆おろしとなりました。1991年、ニューヨークからロサンゼルスに飛ぶ機内で隣りあわせ、はじめて会った作家U氏が、私のスケッチブックを見て、パリのリッツホテルの絵をいたく気に入り、近く出版される同氏の著書に使いたいと望まれ、角川文庫「パストラル」の表紙を飾ったのでした。

 1995年 清水建設を退社し、絵を描くようになりました。毎年欧州に取材旅行に出かけ、スケッチ画をグループ展に出品し、2年ごとに銀座の画廊で個展を催しました。異なる風土が生んだ文化・文明・宗教・政治・経済の姿は、私の専門の建築に刻まれていて、魅力的な題材でした。或る団体の月刊誌の委嘱で、表紙にヨーロッパの風物のスケッチ画と400字のエッセイを載せるようになり、11年間続いたのですが、絵と記事の組み合わせはとてもよい経験だったと思います。

 絵を通して広がった多くの方々との付きあいは、絵を描く仲間、観に来られる方、共通の趣味を持つ方等に大きく広がりました。それらの方たちに支えられて今日があると感じます。絵を描く事は個人の自由な行為ですが、それを公にすると自己責任が問われる世界です。これからも研鑽に努め、いつまでも精進を続けていきたいと考えています。

※この絵が採用されたもの。トリミングして使われた。

2013/11/02